久冨 善之 『教育』編集部、出版発信事業部、「教師」部会、「教師の危機と希望」分科会世話人

所属 一橋大学名誉教授(社会学研究科・教育社会学担当)
専門 教育社会学、教員文化論、学校文化論
著書・論文

メッセージ

<教科研に参加した教育社会学専攻者としての思い>
 私が教育科学研究会に参加したのは、1979年8月の高野山大会が初めてでした。しかし、それより先に大学3年生で「教育学部・教育学科 教育社会学専攻」に進学した1966年から(そこでは、60年代教育計画論が「人的能力開発計画」の理論として政策側に注目されるなか)「教育社会学は本来こういう学問でいいのか? 米国では1920年代から上級学校に進学する教育機会の<階級・階層的な格差>に注目して来た、教育機会の平等を目指す民主的学問ではないのか?」という思いがあり、「教育社会学が一つの教育科学として、教育研究に社会学がどう有効な役割をどうすれば果たせるのか?」という課題をずっと考え続けて来ました。
 それは、1970年代には教育社会学の古典的理論・研究に戻って、この学問を問い直すという形で進めて来ましたが、教科研や『教育』に触れるうちに、日本の学校や教師、その学校づくりや教育実践に出会い、その営みの中にこそ、社会学的研究の生きる道が、特に「社会過程」や「文化過程」というような概念・枠組みが生かせる道があるのではないかと思うようになりました。
 そして「社会過程としての競争」概念で「競争の教育」の動態を解き明かすことや、「教員文化」「学校文化」という概念で、日本の教師たちが特有に持つ「教育実践的志向」や、「いじめ」を乗り越える「学校づくり」という課題の性格を考えて来ました。
 また、北日本のB市・A団地の「生活困難層の生活と子育て」と「学校・教師」との関係に注目する調査も続けて来ました。その実態研究は教育社会学にとって、最も古典的にしてアクチュアルや「階級・階層と教育」というテーマを、日本の実態に即して考えるものになりました。
 その意味では、これまでの私の歩みは一途に「社会学を教育研究に生かす」という点に尽きるわけです。
 残された「頭が研究的に働く」期間は、それほど長いわけではないと思いますが、「頭が働く」限りは、この道を進みたいと思います。

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