教科研とは?

教育科学研究会(略称・教科研)は、教育の現場(学校や園、家庭や地域)で起こっている現実を見すえながら、子どもの未来と教育のあり方について、教職員、保護者、指導者、学生、研究者などが共に考えあい、実践・研究しあう団体です。

教科研は、第二次世界大戦以前に結成され、大戦中に中断を余儀なくされましたが、1952年に再建されました。以来、大戦後の憲法・教育基本法の理念を実現すべく、実践・研究運動を進めてきました。

今日の子どもと教育をめぐる現実は容易ならざる状況にあります。この現状をどのように打開し、子どもたちに明るい未来と希望をいかに保障していくかについて幅広い人たちと語り合い、そのための実践と研究を幅広く押し進めていきたいと考えています。

この研究と運動を私たちといっしょに進めていきませんか?
あなたのご参加を心よりお待ちしています。

教科研の歴史

(1)戦前の教育科学研究会

教育科学研究会(以下、教科研と略記)は1937年5月に結成。会長は城戸幡太郎(法政大学教授(当時))、幹事長は留岡清男(法政大学教授)。幹事に宗像誠也(東京帝国大学助手(当時))、宮原誠一(日本放送協会(当時))、山田清人(東京市小学校訓導)らがいました。

教科研は、従来の講壇教育学は政治や社会の現状を見ない思弁的教育哲学が主流であると批判し、政府の教育政策を含めた教育現実の実証的研究の重要性を説くなど、1930年代において時の教育政策の批判者として立ち現れました。

阿部重孝(教育行政学)、城戸幡太郎(心理学)、留岡清男(農村教育運動)らが編集責任となった岩波講座『教育科学』(1931年~33年)の刊行が教科研の運動の母体となりました。33年4月、講座の付録『教育』が独立の雑誌として刊行され、この『教育』の多数の読者を中心にして教科研は37年5月に結成、会員は約1000名に達しました。

教科研は、プロレタリア教育運動や北方性教育運動(生活綴方教育運動)を担った教師たちの期待を集めました。また、戸坂潤、羽仁五郎、矢内原忠雄、宮本百合子ら唯物論研究者、社会主義者、自由主義者との交流を重ねました。『教育』には、そうした人々の教育実践論、教養論、歴史教育論、婦人教育論、職業教育論、植民地教育論、そして教育改革論が掲載されました。これら論文には時代の良識が反映されていました。

しかし、教科研は1940年前後を転機に国策(戦争)に協力し、それに応える教育改革を構想するようになりました。大政翼賛会(40年10月)が結成されると、城戸や留岡はこれに参画します。総力戦体制の革新性によって教育改革をすすめることが出来るという国家官僚らへの期待が原因でした。期待は幻想であり、同年末以降、生活綴方教師をはじめ地方会員に一斉に弾圧が加えられました。41年5月、教科研は解散を余儀なくされます。44年3月に『教育』は廃刊、城戸・留岡も同年6月に検挙されました。戦前ファシズム期における民間教育研究運動団体の最後の拠り所となった戦前教科研は、こうして息の根を止められました。

(2)戦後の教育科学研究会

戦後、宗像誠也(東京大学教授)や宮原誠一(東京大学助教授(当時))らが教科研の再建を模索し、これに勝田守一(東京大学教授)が加わり、1951年11月に『教育』(国土社、初代編集長は勝田守一)を再刊し、翌52年3月に正式に教科研は再建されました。戦後再建まで11年が経過しています。

『教育』創刊号は、「日本教育の良心」と戦後生活綴方教育の再興を象徴する「山びこ学校」の2つを特集しました。戦後教科研は、自らの良心を問い直し、戦前における戦争と国家認識の弱さを自己批判し、そのために、子どもと教育実践の本質を深める重要性を自覚し、再出発します。

時代は、朝鮮戦争が勃発し(1950年)、東西冷戦が極度に深刻化していました。民主化をすすめた占領政策は転換し、1950年に国家警察予備隊が創設され(1954年に自衛隊へ)、レッドパージが吹き荒れる時期(1949年~)でした。一方、歴史教育者協議会(歴教協)、日本綴方の会、数学教育協議会(数教協)など、民間教育研究運動団体が次々に発足し、日教組の「教え子を再び戦場に送るな」が出され、第1回日教組教研集会(日光)が開催されるなど、民間の教師等による教育研究運動も活発化しました。時代はまさに混沌、2つの途の対立する危機の時代でした。危機の時代に向きあう教育学と教育実践の創造を求めて教科研は動き出します。

その後、1950年代から60年代にかけて「科学と教育の結合」と「生活と教育の結合」を目指して運動をすすめます。1962年に、個人加入の全国単一団体に切り替わります。教科研は1965年から1990年まで「国民教育の創造をめざす教育科学の確立」をめざしてきました。

1976年の研究方針「『わかること』を『生きる力』に結びつけ、地域に根ざす教育の創造を」は、民間教育研究運動における教科研の独自な立場を意識して、教育の全体構造を教育実践的に解く試みの表明でした。この研究姿勢は、現在の教育研究の精神に継承されています。

現在の教科研は、教育の現場の現実を見すえながら、子どもの未来と教育のあり方について、教職員、保護者、発達援助職、学生、研究者などが共に考えあい、実践・研究しあう団体です。教育の困難な現状をどのように打開し、子どもたちに明るい未来と希望をいかに保障していくのか。多様な立場の人たちと語りあい、そのための実践と研究を幅広くすすめていきたいと願う教育研究団体です。『教育』の発行は、2012年4月よりかもがわ出版に変わりました。

主な活動

  1. 年2回の全国レベルの研究集会の開催
    • 全国大会:毎年8月10日前後に、3日間で全体会、数個の大分科会、20余の分科会などを運営
    • 3月集会:3月下旬にその時々の問題に焦点化したテーマで研究集会
  2. 月刊誌『教育』の編集発行と教育書の刊行
    • 『教育』は毎号、日本の教育現実におけるさまざまな問題に焦点化した特集を組み、その問題の分析と実践のあり方、改革の方向について提起し続けています。
  3. 部会、地域教科研による実践研究の交流と蓄積
    • 部会
      • 次のような部会が例会を開いて実践交流や研究討議をしています。
        「能力・発達・学習」
        「身体と教育」
        「自然認識と教育」
        「道徳と教育」
        「平和・人権と教育」
        「教師」
        「学校」
        「地域と教育」
        「青年期教育」
        「言語と教育」
        「教育学」
    • 地域教科研
      • 各地に地域教科研組織が作られていて、研究活動をしています。