
月刊誌『教育』 2017年4月号
- 特集1
- 「教育の良心」を引き継ぐ
- 特集2
- What about 小学校英語?
- とびらのことば
- 「教育の良心」が生きる春
定価990円 / 各号、書店/インターネットにて販売中。
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目次
特集1 「教育の良心」を引き継ぐ
- 教師のしごとは「奇蹟」の連続
- 戦後『教育』創刊号の再読──今日的状況のもとで「日本教育の良心」を考える
- 日本の教員文化がもつ教職倫理──その両面性と「教育実践」という言葉
- 論点整理・「教育の良心」を引き継ぐために
- 教育に向きあう新たな感性と可能性
- 安心できる教室にしたい
- 柔軟な感性との出会いを歓びに
- 話すことは心と心をつなぐこと
- 教育の良心が宿る場所
- 教師教育をとおして継承する「教育の良心」
特集2 What about 小学校英語?
- 小学校英語の教科化と現場の苦悩
- 「五感」が深める「言葉」の学び──全人的教育のテーマ別英語学習を支えに
- 心をとおした音声表現こそ習得への道
シリーズ
- 教科研研究活動方針案骨子前文
- 高柴光男さんを偲んで──二つの会の事務局長として奔走
- <経済レンズをかけてみる>トランプと距離を置くシリコンバレー
- <子どもの風景>WITH PEN IN HAND
- <ちいさな教材・教具たち>年度初めは鬼遊びから
- <教育情報>韓国の教育と「地域の教育力」──韓日教育学会に参加して
- <毎日がチャレンジ!>生徒の言葉に救われて
- <「学校メガネ」をはずしてみたら?>親はあっても子は育つ
- <円窓より ジェンダーのまなざし>性犯罪をめぐる植民地主義・人種主義
- <映画>『わたしは、ダニエル・ブレイク』
- <書評>渡辺憲正ほか『資本主義を超えるマルクス理論入門』
- <子どもと本>ディキンソン『エベレスト・ファイル ―シェルパたちの山』
- <私の誌面批評>冬を胸に春は希望に満ちる
- 『教育』読者の会
- 研究会・部会のお知らせ
- 教科研常任委員会だより
- 教育月報
- 編集後記
とびらのことば
「教育の良心」が生きる春
今年も、学校の新年度がやってきます、桜とともに。
子どもたちは「喜びと期待」に、胸をあふれさせているでしょうか? それとも、「不安」「心配」「焦り」に、心をくもらせているでしょうか?
教師は、子ども・親との関係に気を配りながら悩んでいるでしょうか?「日本教育の良心」は戦後教育科学研究会[再興]としての、雑誌『教育』の「復活=創刊」号(1951年11月)の「特集1」のテーマでした。 当時の「逆コース」の情勢のなかで、戦前から継承した「教育実践」という言葉を引き継ぎ、国家権力の教育抑圧に抗して、「子どもの成長・発達」に寄り添い「平和・人権・民主主義の教育」を、親・地域と共に切り拓こうとした努力と、それへの期待が結実した『教育』の創刊でした。
翻って今日、新自由主義諸政策のもと、格差・貧困と非正規雇用が拡大し、子ども・家族は苦しみ、教師たちも教員人事考課や全国一斉学力テスト、長時間過密労働などに加えて、「ゼロトレランス」「学校スタンダード」の広がりに苦しめられています。また、新「学習指導要領(案)」では「主体的・対話的で深い学び」が喧伝され、その押しつけが始まるという事態に置かれています。そんななかでも、「教師の初心」や「教育の良心」を失わない姿勢をもち続ける学校と教師たちの営みがあります。 本特集は、戦後教科研の「初心」で日本教育の財産でもある「教育の良心」を、いまの時代に即しやわらか、かつしたたかに生かし継承する教育理論と教育実践の姿として示し、読者と希望を共にしたいと思います。
編集後記
- 3~4月、卒業・入学や異動などで新たな人生に踏み出す人も多い。初心を思い起こす、初志を立てるこの時期に、日本の教師たちがどのような教育的良心を継承してきたのかを確認しようと特集を組んだ。
- 藤田論文が紹介しているが、本誌創刊(復刊)号は「日本教育の良心」を特集し、「逆コース」の時代のなかで、平和・自由・民主主義、そしてその基底に人間の尊厳を教育に打ち立てることを呼びかけた。そのことを自覚するところに教師の教育的良心のありかを求めた。しかし、それは教師への社会的期待(子ども、保護者、地域や国家からの期待の複合であり、相反することも多い)のなかで、常に揺らぎ、また模索せざるをえないものでもある。そしていま、国家からの強制的な「役割期待」が、教育的良心を危機にさらしている。
- だが、これをふまえてなお、久冨論文は、教育実践という言葉のなかに、すでに権力の教育支配に抗する「政治性」と子どもの発達を援助するという「価値性」と「倫理性」が伏在しているという。そうだとすれば、教育実践という言葉のなかから「政治性」と「倫理性」を掘り起こし、共有したい。それは、声高に権力への抵抗や対抗を主張することではない。目の前の子どもたちをしっかり見つめ続けることが闘いそのものなのだ。ベテランの山﨑さんだけでなく、若い世代に属する荒金、山口、宮崎さんの文章にそれがしっかりと受け継がれているところに希望がある。